世の中、世知辛いのじゃー日本での生き辛さとその原因とは?

日本に生きていると世知辛い、生きづらいと思うことも多々あるかと思います。もちろん何でもかんでも楽に生きられるほど甘い国など存在しないのでしょう。

とはいえ、この国はなぜこんなにも生きづらいのでしょうか。今回はその原因について調査しました。

強すぎる同調圧力

日本人は同調圧力が強すぎます。他人と違うことをしていると奇異の目で見られたり、ひどい場合には妨害されたりすることもあります。人と違う=悪と考えている節さえあります

日本人は古来より農耕民族として生きてきました。みんなで集落を作り、みんなで畑を作って耕し、みんなで収穫物を分け合って生きてきました。そのため、何でもかんでも「みんな一緒」という考え方が根付いてしまいました。

他にも、日本では過去に「五人組」という制度がありました。五人組とは、江戸幕府が町村に作らせた隣保組織のことです。近隣の5戸を一組とし、互いに連帯責任で火災・盗賊・キリシタン宗門などの取り締まりや貢納確保・相互扶助に当たらせたのです。これが現代社会における同調圧力、相互監視、連帯責任という悪しき風習の基礎となっているのでしょう。

もちろん昔はそれでも良かったのです。みんなが協力しなければ生きていけなかったからです。しかし現代社会では違います。もう村社会を形成してみんなでクワをもって畑を耕し、相互に監視しあう時代は終わったのです。

そもそも、私達人間はみんな一人一人違う人間です。みんな違う人間なのに同じ考え方、同じ行動をする理由がありません。未だに過去の風習に縛られて生きていかなければならないほど現代社会は狭くないのです。

形式ばかりで中身を伴わない

日本人は決まり事ばかりに囚われてしまって、

「今やろうとしていることには、一体何の意味があるのか」
「本当に大切なことは何なのか」
何のためにやるのか
「目的を達成するためには、どうやるのがいいか」

といった考えが足りていない場面がよく見られます。

本来決まり事というのは、何らかの必要性があって制定されたもののはずです。必要であるからこそ、わざわざルールとして取り決められたわけです。

しかし日本では必要か不要に関わらず、「ルールだから」「慣習だから」「そう決まっているから」という思考停止主義とでも言うべき悪い習慣が根付いてしまっています。

時代が変われば常識や必要性も変わります。だからこそ新しい法律が生まれたり、既存の法律も絶えず変更・廃止が繰り返されているのです。昔に制定された決まり事や慣習も今となっては何の意味もないということもあるでしょう。

そういったことも無視して決まり事ばかり優先していたのでは、現実とそぐわないことに直面して生きづらいと思ってしまうのも当然と言えます。

体育会系主義の蔓延

日本を生きづらくしている諸悪の根源、それが「体育会系主義」です。

体育会系とは、体育系の部活組織やそこに所属する人間によくみられる性格・気質・思想の総称を指します。その気質や思想とは以下のようなものです。

体育会系にありがちなこと

  • 年功序列主義。年上の言うことは絶対
  • 理屈より根性の方が大事
  • 効率・合理性よりも精神論を重視する
  • 効率的に物事を達成するより苦労して成し遂げる方が尊い
  • ノリや付き合いを重視し、個人の気質や性格は無視
  • 気合いと根性があれば何でもできる(できないのは甘え
  • 何でもかんでもみんなが一緒であることが大事
  • 体罰OK。叩かれることによって元気になったり学ぶことがあったりする

日本で嫌な思いをした場面を思い出してみてください。そのような場面には必ずと言っていいほど上記のような人間が居たのではないでしょうか。それこそが体育会系=悪であるという何よりの証拠です。

我慢・苦労することが美徳

日本人は苦労や我慢を素晴らしいと考えている節があります。

  • 額に汗水流しながら働くことが素晴らしい。
  • 楽して稼ぐのは悪
  • 苦労して成し遂げたことでなければ意味ない

などという考え方が日本には根付いているようです。しかし我慢したところで何の解決にもならないことなどたくさんあります。それに我慢を美徳と考えているようでは、何の工夫も生まれません。そして工夫のないところに進歩や成長など生まれません。

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という言葉もありますが、それは苦労を売る側の言い分です。そもそも、人間は生きていれば大なり小なり苦労して生きているものです。苦労したくないのに苦労を強いられることもあるでしょう。にもかかわらず自分から買ってでも苦労しろというのは詭弁でしかありません。

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