公正世界仮説・・・被害者の方が悪いと考えてしまう心理

ひったくり事件や暴行事件などが起きたときに「そんな時間に出歩く方が悪い」「被害者は何か恨みを買っていたり落ち度があるのではないか」と反応する人が居ます。

ひったくりなんてその場に偶然居合わせたからという理由でしかなく、ましてや被害者に落ち度なんてあるはずがないのですが、なぜかそのような発言をしてしまう人が居ます。

この理由を調べてみた結果を報告します。

公正世界仮説

被害者にも落ち度があると考えてしまう心理状態は「公正世界仮説」という言葉で説明できます。

公正世界仮説

私達人間が生きるこの世界は常に正しく合理的に動いており、人間の行いに対しては必ず公正な結果がもたらされるものである、という考え。

正しい行いをしていれば報われ、悪いことをしている人間には天罰が下る。この世界は常に均衡がとれるように正しく動いているという考えのことを「公正世界仮説」といいます。

被害者が悪いと考えてしまう心理状態にはこの「公正世界仮説」を信じているという背景があります。

公正世界仮説を信じる心理状態

世界は正しく動いていると思いたい

世界公正仮説を信じている人は心のどこかで以下のように考えています。

「良いことは良い人に起こり、悪いことは悪い人に起こるものである」
「頑張った人は報われるが、頑張らなかった人は痛い目に遭う」
「悪いことをした人間には天罰が下る」

このように世界は常に正しく、報われる人にも報われない人にも相応の理由があるのだと考えているのです。四文字熟語の因果応報自業自得、信賞必罰も公正世界仮説とよく似ている考え方と言えます。

世界は常に正しく公正に動いているものであると考えることによって、「正しいことをしている自分はいずれ必ず報われる、今悪いことをしている奴には必ず天罰が下る」と留飲を下げることができるのです。

(漠然とした)不安を払拭したい

人は誰しも多かれ少なかれ将来に対する漠然とした不安を感じています。

悪いことをしている人間には悪いことが起きるということは、裏を返せば、何の落ち度もない人間(自分)は不幸な目に遭うことはないのだという考えです。このように考えることによって「自分に落ち度さえなければ大丈夫なのだ」と不安を払拭することができるのです。

たとえば「いじめられている方にも原因はある」という考え方は、「いじめられっ子にも相応の原因があるから、いじめは仕方ない」と自分を納得させ、理由もなくいじめられるような不安から逃れるようとしているわけです。

このように被害者が被害者になってしまう妥当な理由を見つけ、被害者になるのはある意味仕方がないことであり、落ち度のない自分には何の悪いことも起こりえないと自分を安心させることができるのです。

理不尽な不幸なんて起こらないと信じたい

世界公正仮説を信じる人は、世界が公正であると信じることによって、理不尽な不幸に遭う不安から逃れようとします。

「不幸なのはそれなりの理由がある」と考えることによって「世界が公平である限り、自分に責任がなければ不幸な目にあうことはない」と考えることができるので、自分ではどうしようにもならない事故や不幸に対する不安から心を守ることができるのです。

そのため、身近な不幸に対して理由や根拠を見出し「あの人が不幸な目に遭ったのはそれなりの理由があったから。自分にはそのような理由や落ち度がないから不幸な目には遭わない」と自分を安心させることができます。

たとえ被害者を犠牲にしてでも、自分の中にある「公正世界仮説」を守れば、自分は理不尽な不幸には襲われないと“安心”できるのです。

まとめ

被害者にも落ち度があると考えてしまう心理は、世界公正仮説を信じることによって、正しい自分には何の不幸も起こりえないと信じ、不安を払拭するための心理です。

理不尽で不幸な目に遭う不安から逃れるために「被害に遭う人にも落ち度がある」と思いたがってしまうのです。このような心理状態が、被害者に落ち度を求め、加害者を擁護する考えにつながっているのです。

しかし世界が公正であるかどうかなんてその時々によって違うものです。

地震や台風などの自然災害で多くの命が失われてしまうのは人の力ではどうすることも出来ない事象ですし、通り魔やひったくりなんて何の落ち度もない人にも起こり得るものです。

世界公正仮説を信じるのは勝手ですが、そのように考えていては自分が被害者になったときに理由のない自責の念に駆られることになりますし、何の落ち度もない被害者をさらに追い詰めることになりますので、その点にだけは注意しておきましょう。

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