可愛い顔して実は超危険・・・羆の生態と恐ろしさ

クマと言えばクマのプーさんやリラックマなどキャラクターが有名で、クマ=愛らしい動物というイメージがありますが、実際のクマはそんなもんじゃありません。

今回はクマという生物の生態と恐ろしさについてまとめました。

羆の基本スペック

羆の基本スペック(オスの成獣の場合)

  • 体長2.5~3m
  • 体重250~500kg
  • 雑食性。木の実や果実などの植物からサケやマスなどの魚類、シカやイノシシなどの哺乳類から果ては人間に至るまで何でも食べる
  • 森林地帯に生息しているが、近年の森林伐採の影響によって人里近くまで生息域を広げている。
  • 冬になると巣穴で冬眠する
  • 食物連鎖の頂点に立つ。武装した人間以外に敵はいない。

雑食性で主に木の実や果物などの植物を食べて生活しています。肉も食べますが、主にサケやマスなどの魚類か、動物の死骸を食べます。熊は人間が怖いと思っているので、人間を襲って食べるようなことはまずありません。

羆は非常に警戒心が強く、基本的には人の目に触れる様な場所に訪れることはありませんし、意外と臆病な生き物なのでわざわざ人間に襲い掛かって捕食しようなどとは考えていませんが、不意に遭遇してしまって被害に遭うケースもあります。

クマの恐ろしさ

クマが可愛らしいのはフィクションの世界だけです。実際の熊は非常に恐ろしいのです。

熊の恐ろしさはたくさんありますが、特筆すべき点は以下の通りです。

嗅覚が犬の20倍以上

熊は非常に嗅覚に優れています

犬の嗅覚は人間の100倍以上だと言われていますが、熊の嗅覚はさらにその21倍あります。つまり、人間の2000倍以上の嗅覚を持ち、哺乳類としては世界最強です。

この嗅覚を活かして遠く離れた場所にいる獲物の位置と種類を正確に嗅ぎ分けることができます。一説には、風が吹けば30km離れた場所の死体の匂いを嗅ぎつけることが出来るとも言われています。

つまり、熊は自分が生息している山一帯を把握可能というわけです。

時速50Km以上で走れる

熊はその見た目に反して非常に俊敏な生き物です。

熊は時速50Km以上で走ることができます。車と並走した記録も残っており、中には時速65Kmで走った個体も存在しています。

人類最速の男ウサイン・ボルトが最高時速44.7Km(平均時速は37.6Km)程度なので、熊がオリンピックに出場すれば余裕で金メダル間違いなしです。

もちろんこんな生物に山で遭遇すれば逃げ切れはしません。

動くもの、逃げる者をを追いかける

熊は動くものに強い興味を示す習性を持っています

「熊にあったら一目散に逃げろ」という言葉もありますが、これは嘘です。熊は逃げる生物を優先的に狙うので、逃げたが最後、ウサイン・ボルト以上の速度で襲い掛かってきます。

あなたが金メダリストをはるかに上回る速度で山道を走れるというのなら話は別ですが、基本的には逃げずに少しずつ後ずさりしながらその場を立ち去るのが良いとされています。

執着心・独占欲が非常に強い

羆は非常に独占欲が強く、自分が一度所有した獲物に異常に執着します

自分が一度手に入れた獲物は必ず自分のものにする習性があり、無理に取り返そうとすると敵と見なされて非常に危険です。

後述しますが、過去には奪われた荷物を取り返そうとして被害に遭ったり、遺体を取り返したら、わざわざ遠く離れた民家までやってきて遺体を奪い返されたという記録も残っています。

また一度味を覚えた獲物を執拗に襲うという習性もあります。そのため、一度人間を捕食してしまった個体は非常に危険で、一度人肉の味を覚えてしまった熊は、捕殺しない限り人間を捕食し続けようとするのです。

火を恐れない

実は羆は火を恐れません

大抵の動物は火を恐れて近寄ってこないものですが、羆は火を全く恐れません。そのため、焚火をしたりたいまつを持って威嚇しても意味はありません。逆に好奇心で襲ってくる可能性すらあります。

前述の通り、熊は非常に好奇心が強く執着心も強い生き物なので、一度人肉の味を覚えた個体はたいまつ=人間=餌と認識して襲ってくるので逆に危険ですらあります。

羆による獣害例

羆による被害として有名なのは以下の二件です。これらの事件を通して羆の恐ろしさが日本中に知れ渡ることになりました。

もう数十年以上前の事件ですが、熊の恐ろしさを知るにはもってこいなので今一度事件の概要を見ておきましょう。

三毛別羆事件

熊による日本最大の獣害被害こそ「三毛別羆事件」です。1915年12月9日から12月14日にかけてエゾヒグマが数回にわたり民家を襲い、開拓民7名の死亡者と3名の重傷者を出した重大事件です。

三毛別羆事件の概要

12月9日

12月9日、長松要吉(ながまつ ようきち、当時59歳)が家に戻ってくると蓮見幹雄(はすみ みきお、当時6歳)が土間の暖炉裏端に黙って座っていたので見てみると喉元と顔の一部が食いちぎられていた。家にいるはずの阿部マユ(あべ まゆ、当時34歳)を呼んだが返事がない。

周囲を確認してみると、トウモロコシを干してあった窓は破られ、囲炉裏まで一直線に続くヒグマの足跡が見つかった。居間は羆の足跡と鮮血まみれになっており、マユは既に食い殺されて遺体を羆に持ち帰られた後であった。

事件が発覚して羆討伐や遺体奪還作戦が話し合われたが、その時は既に午後3時を過ぎていた。12月の北海道は陽が落ちるのが早いため、作戦実行は翌日に持ち越しとなる。

12月10日

事件翌日、ヒグマ討伐及びマユの遺体回収のために約30人もの捜索隊が結成される。ヒグマの足跡を追って森の中に入ってみると、150mほど進んだあたりで件のヒグマと遭遇。

そのヒグマは馬を軽々と越える大きさであり、捜索隊を見ると猛烈な勢いで襲い掛かってきた。捜索隊は鉄砲で反撃するも、鉄砲の手入れが行き届いていなかったため実際に発砲できたのは一丁だけで、その一丁もヒグマには当たらなった。

怒り狂ったヒグマに襲われて万事休すかと思いきや、突然ヒグマが逃走したため奇跡的に捜索隊には被害が出なかった。

その後周囲を捜索してみると血に染まった雪を発見。その下を掘り返して見ると、連れ去られたマユの遺体が見つかった(注:ヒグマがマユを保存食として雪の下に隠していた)。そしてマユの遺体は回収された(注:これが後の被害を生む)。

その夜、亡くなった幹雄とマユの通夜を行っていたところ、突然大きな音とともに居間の壁が崩れ、件のヒグマが室内に乱入(注:ヒグマの習性。一度自分のものにしたマユの遺体を取り返しに来た)。棺桶は打ち返されて遺体は散乱。その場に居合わせた人は大混乱となったが、奇跡的に被害者は出ず、ヒグマも姿を消した。

約20分後、今度は別の民家に件のヒグマが出現。屋外に逃げようとしたヤヨ(当時34歳)が襲われ、背負っていた梅吉(うめきち、当時1歳)が噛みつかれる。戸口に逃げようとする長松要吉(ながまつ ようきち、当時59歳)は一度物陰に隠れようとするも、腰に噛みつかれる。

次にヒグマは金蔵(きんぞう、当時3歳)と春義(はるよし、当時3歳)を一撃で撲殺したうえ、巌(いわお、当時6歳)にも噛みつく。

この時、野菜置き場に隠れていたタケ(当時34歳、妊娠中)がむしろから顔を出してしまい、それに気付いたヒグマは彼女にも襲いかかった。居間に引きずり出されたタケは、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と胎児の命乞いをしたが、上半身から食われ始める。

討伐隊は激しい物音と絶叫を耳にして民家へ急いだが中は真っ暗で、そこではタケと思われる女性のうめき声と、肉を咀嚼し骨を噛み砕く音が響いており、うかつに手を出せない状況だった。

その後二手に分かれて空砲二発で威嚇。ヒグマは入り口から出てきて、先頭にいた男が射殺しようとするも不発に終わり、他の人も撃てずに手をこまねいている隙にヒグマは逃走。

家の中を確認してみるとそこは血の海であり、無残に食い裂かれたタケ、春義、金蔵の遺体があった。上半身を食われたタケの腹は破られ胎児が引きずり出されており、胎児は一時間後に死亡が確認された。巌は肩や胸にかみつかれた傷を負い、左大腿部から臀部は食われ骨だけになっており、後に死亡が確認される。

12月11日

余りの惨状に、三毛別地区区長の大川与三吉(おおかわ よさきち,当時47歳)と、村の長老や有志、駐在所巡査、御料局分担区員、分教場教師らが話し合い、ヒグマ退治の応援を警察や行政に頼ることが決議される。

12月12日

討伐隊が組織され、要所を固めてヒグマ討伐を試みるも、林野に上手く紛れるヒグマの姿を捕らえることはできなかった。そのため、ヒグマの「獲物を取り戻そうとする習性」を利用して、遺体を餌にしてヒグマをおびき寄せる作戦を立案。なお、あまりに切迫した局面であったため、遺族ですらこの作戦に反対する者はいなかった。

作戦は直ちに実行されるも、家の寸前でヒグマは歩みを止めて周囲を警戒。(注:ヒグマは非常に警戒心が強く、周囲にいた討伐隊の臭いを察知して警戒している)

ヒグマは何度か家の周りを周るだけで森へと引き返してしまい、翌日まで待ち伏せるもやはりヒグマは現れず、作戦は失敗に終わる。

12月13日

この日ヒグマは村人不在の家々を荒らし回っていた。鶏や保存食を食い荒らし、服や寝具などをずたずたにしていた他、女性が使っていた枕や温めて湯たんぽ代りに用いる石などに異様なほどの執着を示していた(注:ヒグマの習性。一度マユ(女性)の味を覚えたので女性の匂いがする物に異常に執着する)

その夜、橋で警備についていた一人が対岸の切り株の陰にヒグマの気配を感じ取る。隊長の命令のもと全員発砲すると、ヒグマは闇に紛れて姿を消した。

12月14日

10日の深夜に話を聞きつけて三毛別に入っていた熊打ち名人:山本兵吉(やまもと へいきち、当時57歳)は討伐隊と別れて単独で山へ入る。頂上付近でミズナラの木につかまり体を休めていたヒグマを発見した兵吉は二発の弾丸を放った。

一発はヒグマの心臓に、もう一発はヒグマの頭部を正確に撃ち抜き、討伐に成功。その後討伐隊が到着し、重さ340kg、身の丈2.7mにも及ぶヒグマの死体を確認。ようやく事件は終息した。

福岡大ワンゲル部・羆襲撃事件

1970年7月に北海道日高山脈のカムイエクウチカウシ山で発生した獣害事件であり、福岡大学のワンダーフォーゲル同好会の会員3名が被害に遭った事件です。

福岡大ワンゲル部・羆襲撃事件の概要

7月14日

福岡大学ワンダーフォーゲル部のA(リーダー、20歳)、B(サブリーダー、22歳)、C(19歳)、D(19歳)、E(18歳)の5人は芽室岳へ入山する。そのまま日高山脈を縦断するつもりであった。

7月25日

ワンゲル部一行はカムイエクウチカウシ山 (1979m) の九ノ沢カールでテントを張ったが、その後ヒグマが出現。

一行はヒグマがいない九州から来たため、恐れることなくヒグマの様子を見ていたが、荷物をあさり、中の食料を食べ始めたので、音を立て追い払い荷物を取り返した(注:これが後の被害を生む)

その夜、再びヒグマが現れテントに穴を開けた。身の危険を感じた一行は交代で見張りを立てるも、その後ヒグマは出現しなかった。

7月26日

午前4時半、ヒグマの恐ろしさで一睡もできなかった一行のテントに再びヒグマが出現。ヒグマは執拗にテントを引っ張り続けるため、パーティーはテントを捨てて外に退避。ヒグマはテントを倒し、やはり荷物を漁っていた(注:一度エサとして所有した荷物に異常に執着する)

Aの命令でBとEが救助を呼ぶため下山を始めた。その途中で北海学園大学のグループや鳥取大学のグループに会ったので救助要請の伝言をし、BとEは他の3人を助けに山中へ戻った。

BとEは昼頃に合流し、5人でテントを修繕した後夕食を取る。午後4時頃、寝にかかろうとしていた一行の元に例のヒグマが現れ一時間以上居座り続けた。

その場に居続けるのは危険だと判断した一行は鳥取大学のテントに避難するため、九ノ沢カールを出発し歩き続けるも、鳥取大学や北海学園大学のグループは既にヒグマ出没の一報を受けて避難した後であった。

仕方なく一行は夜道を歩き続けたが、ヒグマは追いかけてEを襲い、絶命させた。Cは他のメンバーとはぐれてしまった。

7月27日

下山する途中、ヒグマが再び出現。Aがターゲットとなりそのまま襲われて死亡。BとDは無事下山、午後6時に中札内駐在所へ到着。

仲間と外れたCはヒグマに襲われて死亡。Cは死の直前までその様子や心境をメモに残していた。

7月28日

救助隊が編成され、帯広警察署はカムイエクウチカウシ山などの日高山脈中部の入山を禁止した。

7月29日

午後2時45分頃、救助隊はAとEの遺体を発見。同日午後4時半頃、ヒグマは八の沢カール周辺にてハンター10人の一斉射撃によって射殺され、事態は収束した。

7月30日

Cの遺体が発見される。遺品として、死の直前までが記されたメモが見つかる。

まとめ

  • ヒグマが可愛いのはフィクションの世界だけ。実際のヒグマは非常に恐ろしい生き物なので、ヒグマの生息域にうかつに近づいてはならない
  • ヒグマは一度所有したものに対する執着心が異常に強いので、荷物にしろ遺体にしろ、一度取られたものを取り返そうとしてはならない。取り返そうとすると「自分の獲物を横取りしようとする敵」と見なされて襲われてしまう危険がある。
  • ヒグマは非常に嗅覚が良く、かつ俊敏なので逃げ切ることは不可能。戦ったり逃げたりせず、最初から遭遇しないように心がけることが最も重要かつ安全。
  • ヒグマは逃げる者を追いかける習性があるので、遭遇しても背を向けて逃げ出してはならない。その場から後ずさりするようにして立ち去ること

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