2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震とそれに伴う福島第一原発事故。その時になってようやく日本人は放射線の恐ろしさに気づきました。
一方、海外には放射線の研究を進めるために超危険な実験をしている人達がいました。この事例は放射線の危険性を知るにはもってこいなため、実験の概要と結末を紹介します。
目次
実験の概要
デーモンコアとは
デーモンコアとはアメリカの研究所で放射線の研究のために使用された、重さ約14ポンド(6.2kg)にも及ぶ未臨界量のプルトニウムの塊のことです。(プルトニウムは原子爆弾にも使われたとんでもない危険物です)
ただし実際に使用されるのは、球体状にしたベリリウム(中性子反射体)を半分に分割し、その中央部分にプルトニウム(核分裂性物質)を組み込んだものとなります。
一般的に、デーモンコアといえば半球状に分かれた上記写真のような実験物のことを指します。
実験の目的と手順
カナダ出身の物理学者ルイス・スローティン博士は
「中性子反射体と放射性物質をどのくらい近づけると臨界状態に達するのか」
「臨界状態に達するまでにどのような反応が見られるのか」
など、放射性物質の性質と反応を正確に調べようとしていました。
プルトニウムは中性子を放出しますが、自由な中性子が閉じた空間の中で振動すると、自律核連鎖反応が起きます。
そして反応の比率が十分に高いと臨界状態に達し、プルトニウム原子は核分裂反応を起こし、大量のエネルギーを放出するのです。
つまりデーモンコアでの実験は、上半球(ベリリウム)と下半球(デーモンコア)をどのくらいまで近づければ臨界状態に達するかを調べるための実験というわけです。
その近づけ具合を調整するためにスローティンはドライバーを使いました。上半球と下半球の間にドライバーを挟み込んで距離を調整しつつ、上半球と下半球が完全にはくっつかないようにするためでした。
もし上半球と下半球が完全にくっつくと即座に臨界状態に達しますので、非常に危険な実験と言えるでしょう。
起きてしまった事故
臨界状態に達したデーモンコア
スローティンはベリリウム半球をゆっくりと下に置かれた半球に近づけていく実験を行っていたのですが、実験中に誤って手を滑らせてしまい、上下の半球が完全にくっついてしまいました。
近くにいたシュレーベル博士は音がして振り返りましたが、皮肉にもその音こそがスローティンが手を滑らせて上下の半球を完全にくっつかせてしまったときの音でした。
シュレーベルは実験現場から瞬時に青い閃光が放出されたことを目視し、同時に顔に熱波を感じたと語っています。
(原文)
The blue flash was clearly visible in the room although it (the room) was well illuminated from the windows and possibly the overhead lights. . . . The total duration of the flash could not have been more than a few tenths of a second. Slotin reacted very quickly in flipping the tamper piece off. The time was about 3:00 P.M.
(和訳)
実験を行っていた部屋の中は窓から入る光と電球で十分な明るさでしたが、事故時にはハッキリ目で見てわかるレベルの青色の光が発生しました。この閃光が発生したのは時間でいえばわずか10分の数秒にすぎませんでした。スローティン博士はとても素早く半球をはじき飛ばしました。事故が起きたのは午後3時頃でした
スローティンはすぐさま半球を弾き飛ばしましたが時すでに遅し。青い光が見えたということは既にデーモンコアが臨界状態に達したという証拠であり、すぐ近くにいたスローティンは一瞬で致命的な量の放射線を浴びてしまったのです。
この時のことをスローティンは「口の中に酸味を感じ、左手に強い火傷の感覚を感じた」と語っています。
青色の光の正体
上下の半球がくっついた際に放たれた青色の光は、強い放射線によって空気が電離したときに発生する光です。
これが生じるということは核分裂反応が起きて高レベルの放射線が放たれているということであり、原発事故等でよく見られる現象です。
事故の結末
上下の半球が完全にくっついてしまったことによってデーモンコアが臨界状態に達してしまいました。
即座に半球をはじきとばしたスローティンでしたが、この時すでに致死量(21シーベルト)の中性子線とガンマ線を浴びていたため、放射線障害のために9日後に死亡することになりました。
近くにいた研究者たちは幸いにもスローティンの体が壁となったおかげで中性子線が遮られ、致命的なダメージを受けずに済みました(とはいえ、少なからぬ量の放射線を受けてしまったことは事実であり、数週間程度の入院は避けられなかった)。
その他の研究者は十分離れた位置にいたため、無事で済みました。
スローティンの最期
大量の放射線を浴びたスローティンは病院に運び込まれましたが、検査前に数度嘔吐しました。
スローティンの左手はデーモンコアに最も近い位置で被曝してしまったので、時間とともに腕が麻痺し、徐々に痛みも増してきました。そして左手は青白く変色し、大きな水ぶくれが発生しました。
事故発生から5日目になると、スローティンの白血球数は劇的に減少し、体温と脈拍も大きく上下し始めます。そしてこの日からスローティンは急速に弱り動けなくなりました。
その後も嘔吐と腹痛に苦しみ続け徐々に体重を減らしていきましたが、これは体内を放射線によって焼き尽くされてしまったからです。内臓が正常に機能しないので徐々に弱っていくことが止められないのです。
事件から7日後、スローティンは精神錯乱に陥ります。唇は青色になり、酸素テントの中での生活を余儀なくされました。事件発生から9日後には昏睡状態に陥り、35歳の若さで死亡しました。
危険な事はほどほどに
上下の半球がくっついてから即座に半球をはじきとばしたのは流石と言えます。もしスローティンがその場から逃げ出していたらデーモンコアから即死級の放射線が今もなお放出されて続けていたことでしょう。
身を呈して他の研究者を守るべく行動したスローティンの行動は英断と言えます。
しかし、実験中に手が滑るというのはいくらでも予見できたことであって、何の安全対策も講じないまま実験を行ったのはあまりにも無謀と言えます。
「危険を省みずに何かに取り組む」と言えば聞こえはいいですが、実際は自殺行為に他ならないので、危険な事はほどほどにしておきましょう。そして人類はこの事例から放射線の危険性を認識しなければなりません。