前からずっと嫌いだったのが「結果論」を口にする人たちです。
今回は結果論の無意味さと、なぜ結果論が嫌われるのかをまとめました。
結果論とは
結果論とは、「ああすればよかった」「こうすればよかった」「そうするべきではなかった」などと、結果が出てから語られる議論のことです。
もちろん結果を踏まえて内容を吟味することは大切なのですが、単に結果論と言えば結果を見てからしか言えないようなことをぺらぺら喋ること、その議論のことを言います。
例えば、コイントスをして表か裏かで賭けをして、コイントスの結果が出てから「表に賭けておくべきだった」「裏に賭けるべきじゃなかったのに」などという発言が結果論の典型例です。
結果論者が嫌われる理由
後だしジャンケンだから
結果論が嫌われる最たる理由は「後だしジャンケンに過ぎないから」です。
結果を見てからあれこれ言うのは、相手の手を見てから自分の手を出す後だしジャンケンのようなものです。結果を見てからであれば誰でも何とでも言えます。
私たちは先の結果が分からないからこそ苦しみ、迷い、不安になります。私たちは結果がどうなるか分からない中で、その時点で自分が一番正しいと思う選択肢を選んでいかなければなりません。
さんざん考えて出した結論が間違っているということも多くあります。分からないのだから当然のことです。
しかし結果論は結果を見てからの発言なので間違うことがありません。結果論者はいつも正論を吐けるのでさぞかし気分がいいでしょう。思考する必要もないので楽です。実際、思考力のない人ほど結果論を言いたがります。
しかし間違わないからと言ってもそれは後になってから言える話であって、結果が出る前、つまり、先のことが未確定な状況で結論を下すことに比べたら全く大した発言ではありません。
結果が分からない状況で行動するには勇気と知恵が必要ですが、結果が分かってから発言するのには何の思考力も勇気も必要ありません。
だからこそ、賢者は黙って行動し、愚者は結果を見てからペラペラ喋り出すのです。
全く無意味なうえ、生産性が皆無だから
結果論は無意味なうえに生産性がありません。
宝くじの当選番号が発表されてから「あの時あの番号を買っていれば今頃億万長者だったのに」だとか、大地震が起きてから「あの地域から早く引っ越しておくべきだった」などといったところで、起きてしまってからではもうどうしようもありません。
物事が起きてしまってからどうこう言ったところで何も変わりはしないのに、その結果を見てからああだこうだ言い出すのは全く非生産的な話です。
起きてしまってからではもう遅いのですから、次善の策として次にどうするべきかを考えるのが生産的な思考です。
当事者でもない癖にしゃしゃり出てくるから
結果論者は頼んでもいないのに「ああすべきだった」「こうするべきではなかった」などど、横からしゃしゃりでてくるのが特徴です。
傍から結果だけ見て口を挟んでくるので不愉快な事この上ないのですが、本人にはそれが分かりません。
それもそのはず。結果論者は本来、傍観者の一人にすぎないのであって当事者ではないからです。
当事者は色んな葛藤を抱えています。当事者になってみないと分からない辛さや難しい立場というものもあるでしょう。当事者は失敗するかもしれない可能性・不安を抱えた上で、それでも何とか成功させようとして何らかの選択をし、物事に挑戦します。
当然失敗することもありますが、それを外野の人間があれこれ言うのは野暮というものです。本人は自分なりに色々と考えて、自分が一番正しいと判断した行動をしたのです。それを批判できる権利は赤の他人にはありません。
赤の他人はあくまで傍観者にすぎないのだから、そのまま黙って見ているのがお似合いであって、口を挟む権利はありません。
結果論者に対するネット上の声
結果が出る前は何も意見を述べず、討議にも参加せず、
結果が出たら、「それ見ろ」と言う。
これでは嫌われるのは当然です。
結果を見てからなら誰でも何とでも言えるけど、そんな発言には何の意味もないし誰も興味ない。
宝くじのあたり番号は当選発表前に知れるなら誰でも興味あるし、地震の規模や範囲を予知できるのなら誰でも知りたいと思うけど、後になってから教えられたって誰も興味ないし意味なんてないでしょ。
失敗の要因は失敗が起こるまでほとんどの場合気づきません。
なぜなら要因が分かっていれば失敗はしないからです。
失敗という結果がでた後であれば、容易に要因を推測する事は出来ます。
それが初めからわかっていれば失敗はしなかったのに 気づかなかったから失敗が起こったのです。
結果論を言う人はこの失敗に気づくか気づかないかのプロセスには参加していません。
誰も失敗したくて失敗するわけじゃない。失敗するかもしれないけど、なんとか成功させようと努力した結果失敗してしまう。
結果論はその試行錯誤の過程や、失敗するかもしれない不安や葛藤を抱えた本人の気持ちや立場も全否定したうえで「ああすればよかった」「こうするべきじゃなかった」などともっともらしいことを言う。これはナンセンス極まりない。
京アニの事件観て「螺旋階段の危険性ガー」とか言ってる奴はマジで脳ミソ沸いてるわ。
「一階にガソリンまいて火をつける奴がいるから螺旋階段は止めとけ」と建築主に注意喚起しろとでも?
結局ああいう事件が起きて螺旋階段がよく燃えたという結果を見てからああだこうだ騒いでるだけの結果論者だろ。